adhara’s blog

数理物理に関する記事を書きます。 https://twitter.com/adhara_mathphys

非相対論的水素原子における力学的対称代数

こちらは物理 Advent Calendar 2017 3日目の記事である。

前二日の記事を見てみると、物理各分野の俯瞰を試みた1日目のましろさんの記事、非相対論・相対論量子力学の基礎方程式を比較解説した2日目のれおなちさんの記事、はいずれも教育的な記事で素晴らしいものである。

その流れに逆らって申し訳ないが、先のお二方と異なり自分の興味が前面に出た記事を書こうと思う。 すなわち、このブログで扱われることの多い非相対論的水素原子の数理*1から題材を選ぶことにする。

問題設定

非相対論的水素原子のハミルトニアン

\begin{align*} H = -\frac{{\hbar}^2 {\nabla}^2}{2m_e} - \frac{\kappa}{r} \end{align*}

を考える。 このハミルトニアンの力学的対称性(dynamical symmetry)を記述する有限次元のリー代数を構築する。 ここで力学的対称性とはハミルトニアン固有値問題における縮退を説明することができる対称性を指す。 水素原子のように高度な縮退を持つ場合は力学的対称性はハミルトニアンの空間的な対称性を超えたものとなる。 この有限次元リー代数を力学的対称代数(dynamical symmetric algebra)と称する。 力学的対称代数を考える恩恵としては元素周期表の構造の由来がわかる、というものがある。 周期表の構造は水素様原子における軌道の縮退を反映したものである。 多電子効果によって軌道の縮退は解けるものの縮退の名残が残っており、混成軌道の概念や希ガスの安定性やオクテット則として化学分野に顔を出してくるのである。

さて、力学的対称代数はハミルトニアンと可換な演算子から構築される。 次節では可換な演算子たちについて記述する。

ハミルトニアンと可換な演算子たち

まず、水素原子の球対称性に対応して角運動量ベクトル

\begin{align*} L_k = \epsilon_{ijk} x_i p_j \end{align*}

ハミルトニアンと可換であることが容易にわかる。

これを考える上で鍵となるのは、Laplace-Runge-Lenz(LRL)ベクトル

\begin{eqnarray*} {\boldsymbol M} = \frac{1}{2m_e}(\boldsymbol p\times \boldsymbol L - \boldsymbol L\times \boldsymbol p) - \frac{\kappa}{r}\boldsymbol r \end{eqnarray*}

である。 LRLベクトルも角運動量ベクトル同様にハミルトニアンと可換となることが知られている。 ここでLRLベクトルは

\begin{eqnarray*} {\boldsymbol M}= \frac{1}{2} \left\{ \frac1{2m_e} \left( \boldsymbol x {p}^2 - 2(\boldsymbol x\cdot \boldsymbol p) \boldsymbol p \right) + x H \right\} + \mathrm{h.c.} \end{eqnarray*}

のように変形することができることを指摘しておく。 ただし h.c. はエルミート共役を表す。

角運動量ベクトルやLRLベクトルがハミルトニアンと可換となることの詳細な計算は

adhara.hatenadiary.jp

に書かれている。

リー代数において重要な構成要件は代数元の間のブラケット演算(あるいは交換関係)である。 次節で交換関係について記す。

角運動量ベクトルやLRLベクトルに対する交換関係

まず、角運動量ベクトルの成分である \( L_x,\ L_y,\ L_z\ \) は \( \mathfrak{so}(3) \)代数をなす。 すなわち、

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

が成立する。 さらに次のような交換関係

\begin{align*} [L_i,M_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}M_k \end{align*}

\begin{align*} [M_i,M_j]=-2\mathrm{i}\hbar \frac{H}{m_e}\epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

が計算される。 これらの交換関係の詳細な計算については

adhara.hatenadiary.jp

に書かれている。

この時点ではLRLベクトルの成分同士の交換関係の右辺に出てくる \( H \) のせいで有限次元のリー代数を構成することができない。一般にはアフィンKac-Moodyリー代数となる。扱いやすい有限次元のリー代数を構成するためには一手間必要である。

力学的対称代数の準備

有限次元リー代数を構築するために必要な操作は表現空間の制限である。 すなわち、演算子が作用する表現空間をハミルトニアン固有値が \( E \) となるような状態からなる部分ヒルベルト空間に制限する。 すると、LRLベクトルの成分同士の交換関係はこの空間においては

\begin{align*} [M_i,M_j]=-2\mathrm{i}\hbar \frac{E}{m_e}\epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

となる。 これにより、6つの演算子 \( L_x,\ L_y,\ L_z,\ M_x,\ M_y,\ M_z \) で閉じた有限次元リー代数を構成することができる。

力学的対称代数の構築

前節まででリー代数はほぼ構築できたと言える。 しかしながらこのリー代数の正体はまだ不明である。 実のところ固有値 \( E \) の符号によって異なるリー代数リー代数同型の意味で)となるので、場合分けして調べる必要がある。

(1) \( E < 0 \) の時

これは束縛状態を考えることに相当する。 この時

\begin{eqnarray*} \boldsymbol{\tilde M} = \sqrt{\frac{m_e}{2|E|}} \boldsymbol M \end{eqnarray*}

とおくと、交換関係は

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

\begin{align*} [L_i,\tilde M_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}\tilde M_k \end{align*}

\begin{align*} [\tilde M_i,\tilde M_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

の様に集約できる。これは四次元ユークリッド空間における(狭義)回転群 \( SO(4) \) に対応するリー代数 \( \mathfrak{so}(4) \) である。

(2) \( E = 0 \) の時

これは古典的には放物線軌道に相当する状態であり非束縛状態である。 この時の交換関係は

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

\begin{align*} [L_i,M_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}M_k \end{align*}

\begin{align*} [M_i,M_j]=0 \end{align*}

の様に集約される。これは3次元ユークリッド空間の連続対称群 \( ISO(3,1) \) *2 に対応するリー代数 \( \mathfrak{iso}(3,1) \) である。

(3) \( E > 0 \) の時

これは散乱状態を考えることに相当する。 この時

\begin{eqnarray*} \boldsymbol{\tilde M} = \sqrt{\frac{m_e}{2|E|}} \boldsymbol M \end{eqnarray*}

とおくと、交換関係は

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

\begin{align*} [L_i,\tilde M_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}\tilde M_k \end{align*}

\begin{align*} [\tilde M_i,\tilde M_j]=-\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

の様に集約できる。これは3+1ミンコフスキー空間における(狭義)回転群 \( {SO}^{+}(3,1) \) に対応するリー代数 \( \mathfrak{so}(3,1) \) である。

もう一つのLRLベクトルと力学的対称代数の構築方法

実のところ(量子力学版の)LRLベクトルと呼ばれるものにはもう一つある。 すなわち、

\begin{eqnarray*} {\boldsymbol M}(E)= \frac{1}{2} \left\{ \frac1{2m_e} \left( \boldsymbol x {p}^2 - 2(\boldsymbol x\cdot \boldsymbol p) \boldsymbol p \right) + x E \right\} + \mathrm{h.c.} \end{eqnarray*}

によって定義されるベクトルもLRLベクトルと呼ばれる。 ここで、 \( E \) はある実数であり特にハミルトニアン固有値である必要は特にはない。このLRLベクトルは水素原子のスペクトルを Fock の方法で計算するときに出てくるものであり、Bargmann が導出した。これについては以前の記事に詳しい。

adhara.hatenadiary.jp

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このLRLベクトルが関わる交換関係は

\begin{align*} [L_i,M_j(E) ]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}M_k(E) \end{align*}

\begin{align*} [M_i(E),M_j(E)]=-2\mathrm{i}\hbar \frac{E}{m_e}\epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

となる。 このことから \( L_x,\ L_y,\ L_z,\ M_x(E),\ M_y(E),\ M_z(E) \) も有限次元リー代数をなすことがわかる。

先の節までのLRLベクトルと同様に \( E )) の符号によって異なるリー代数リー代数同型の意味で)となるので、場合分けして調べる必要がある。

(1) \( E < 0 \) の時

この時

\begin{eqnarray*} \boldsymbol{ M}_{<}(E) = \sqrt{\frac{m_e}{2|E|}} \boldsymbol M (E) \end{eqnarray*}

とおくと、交換関係は

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

\begin{align*} [L_i,{M} _ {<,j}(E) ]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}{M} _ {<,k}(E) \end{align*}

\begin{align*} [{M} _ {<,i}(E), {M} _ {<,j}(E) ]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

の様に集約できる。これは四次元ユークリッド空間における(狭義)回転群 \( SO(4) \) に対応するリー代数 \( \mathfrak{so}(4) \) である。

(2) \( E = 0 \) の時

これは古典的には放物線軌道に相当する状態であり非束縛状態である。 この時の交換関係は

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

\begin{align*} [L_i,M_j(0) ]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}M_k(0) \end{align*}

\begin{align*} [M_i(0),M_j(0)]=0 \end{align*}

の様に集約される。これは3次元ユークリッド空間の連続対称群 \( ISO(3,1) \) に対応するリー代数 \( \mathfrak{iso}(3,1) \) である。

(3) \( E > 0 \) の時

これは散乱状態を考えることに相当する。 この時

\begin{eqnarray*} \boldsymbol{ M}_{>}(E) = \sqrt{\frac{m_e}{2|E|}} \boldsymbol M (E) \end{eqnarray*}

とおくと、交換関係は

\begin{align*} [L_i,L_j]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

\begin{align*} [L_i,{M} _ {>,j}(E) ]=\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}{M} _ {>,k}(E) \end{align*}

\begin{align*} [{M} _ {>,i}(E), {M} _ {>,j}(E) ]=-\mathrm{i}\hbar \epsilon_{ijk}L_k \end{align*}

の様に集約できる。これは3+1ミンコフスキー空間における(狭義)回転群 \( {SO}^{+}(3,1) \) に対応するリー代数 \( \mathfrak{so}(3,1) \) である。

まとめと今後の展望

本記事では二種類の方法により非相対論的水素原子における力学的対称代数を構築した。いずれの方法についても三種類の異なるリー代数リー代数同型の点で)が構築される。 これらのリー代数の(ユニタリ)表現論を用いることにより、水素原子においてエネルギー縮退している状態たちの間を代数的に結びつけることが可能である。

今後の展望として、本記事で構築された力学的対称代数の拡張について記す。 一つ目の方法によって導出された3種類の力学的対称代数のそれぞれは、異なるエネルギー状態を結びつける代数構造を含ませる様に拡張される。これによって構成される三種類のリー代数はいずれの場合もリー代数 \( \mathfrak{so}(4,2) \) である。 二つ目の方法によって導出された3種類の力学的対称代数についてはこれらを部分代数に含む大きなリー代数 \( \mathfrak{so}(4,1) \) を構成することができる。 これに異なるエネルギー状態を結びつける代数構造を含ませることでやはり \( \mathfrak{so}(4,2) \) を構成することができる。 これらの拡張による恩恵は、エネルギーの符号が同じであるすべての状態を既約表現に含むリー代数を考えることができることである。 すなわち、すべての状態間を代数操作によって関係付けることが可能になる。

*1:これに関しては以前レビュ記事を書いている。adhara.hatenadiary.jp

*2:ユークリッド空間の連続対称性は回転対称性と並進対称性である。

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